バシリカ型聖堂でアプシス、両トランセプト共に半円形でしかも同型をとるタイプを三つ葉のクローバーに似ていることから三葉型(Dreikonchen)と呼ばれる。プラン上でも実際の見た目にも均整のとれた美しいその外形は末期ローマ時代、ケルンのカピトール神殿に建てられたマリア聖堂(場所にちなんでザンクト・マリア・イム・カピトール Sankt Maria im Kapitolと呼ばれ貴婦女の修道院であった)にその原型が見られ、1050年代の大規模な改築により完成されたスタイルとして登場した。

ザンクト・マリア・イム・カピトール教会(ケルン)


左:東側から、右:航空写真(以下、航空写真は全てGoogle mapから)

ザンクト・マリア・イム・カピトールのプラン
4世紀11世紀の改築後

(このページのプランは全て同寸)

 この形式はすぐにケルン市内の二つの聖堂、グロース・ザンクト・マルティンの再建及びザンクト・アポステルンに採用され、近郊、特にカロリング圏(ライン・ミューズ河畔)の聖堂にも大きな影響を与えた。三葉型内陣はノイスのザンクト・クヴィリン教会、マインツ大聖堂西内陣(再建)、ロルデュックの修道院聖堂(再建)などが現存し、マーストリヒトの聖母教会、トゥルネィのノートル・ダム大聖堂がこの形式をとっていたことが知られている。
 ここで疑問に思うのは三葉型の影響がどうしてこの地域にのみ限定され、そしてゴシックに継承されなかったか、ということである。他の地域にも皆無というわけではなくて、プロヴァンス地方のサン・マルタン教会(1180年代)やシャラント地方のシャニエールにあるサン・ピエール教会はこの形式をとっている。しかしこれらはケルンの影響とは無関係な孤立した例であるとみてよい。

ケルン市内の三葉型内陣を採用した聖堂
ザンクト・アポステルン グロース・ザンクト・マルティン

 ケルンの三葉型聖堂のプランをみると三葉の形態がだんだん退化?していっているが外観をみるとまぎれもなく三葉である。この三聖堂は同じ三葉形式をとりながら印象は随分異なる。特にどこに収束されているかをみると全く扱い方が違う。ザンクト・マリア・イム・カピトールは各葉が大きく外に張り出した結果、水面の波紋のような外側への運動性を持っている。次に建てられたグロース・ザンクト・マルティンは巨大な塔にベクトルが向いて垂直方向への集中が見られる。身廊は短く塔におまけでくっついたような感じでこの建築家はひたすら塔のモニュメント化に専念しているようにも感じられる。最後のザンクト・アポステルンでは交差塔を頂点とする三角形に形作られている。後の二聖堂はツヴェルクギャラリーを三葉全周に巡らせて結束感を強めている。

ケルン以外の三葉内陣の例

ザンクト・クヴィリン教会(ノイス) ベネディクト会修道院聖堂(ロルデュック、オランダ)

 ザンクト・クヴィリンは末期ドイツロマネスクを代表する聖堂で、ケルンのザンクト・アポステルン教会と共通している(年代はほぼ同時期)。ロルデュック(1130年代)はアーヘン近郊のドイツ国境に近いオランダの修道院で現在は音楽学校になっている。マインツ大聖堂と同じようにアプシスのみが発展して三葉となった。トランセプトはこれとは別にあるので三葉型のヴァリエーションとも言える。ロルデュックはシュパイアーで達成しえなかった古典的形態的表現(クーバッハ)、偽トランセプト、ロンバルディア風柱頭彫刻などライン・ミューズ流域のロマネスク聖堂群中、特異で興味深い作例である。


聖ヨハネ修道院礼拝堂、ミュスタイル(スイス)

 グラウビュンデン州ミュスタイルにあるカロリング朝時代の礼拝堂。小さな建築であるが、三つ葉型である。ミュスタイル渓谷からフィンシュガウ渓谷にかけての地域にはカロリング時代の建築が複数残存し、初期中世の教会堂建築がどんな感じであったかが朧気に実感できる。南方(イタリア、東方)から北方へ至るルートであるので、三つ葉型の伝搬経路の一つであるかもしれない。
 三葉型内陣に関するここ数年の疑問を比較建築研究会の浜村さんのおかげでかなりの部分が理解出来るようになった(感謝)。生物の進化と同じく建築も機能発現の必然性がなくなればそれまで現れていた形態は失われ退化していく。三葉型にも同じことが起こったらしい。その端的な例が次の聖堂で起こった。


ノートル・ダム大聖堂(トゥルネィ、ベルギー)
創建時の状態をCGで再現


ノートル・ダム大聖堂創建時のプラン

 ベルギー南部のフランス国境に近いトゥルネィはメロヴィング朝のシルデリック時代に首都であったがノワイヨン司教区の管轄下にあり大聖堂が建てられた頃ようやく司教区に昇格した。それに加えてコミューンも強大であったことからたいへん意欲的な建築で、近郊で採掘される大建築に最適な硬質石灰岩をふんだんに使ったその建築はノルマン風な四層立面構成、初期フランスゴシックの二重壁体構造、ゲルマンの多塔構成(及び創建時には三葉型内陣)をうまく融合させている。大聖堂はおそらくこの状態でいったん完成した後、当時の司教が典礼には狭すぎること、同時期に次々と建てられていた北フランスのゴシック大聖堂に見劣りがすることを理由にサン・ドニ修道院を手本にして内陣部分をゴシック様式に改築した。プランを見ても最も発展した三葉形態であるが、もはやこの形態は司教座教会の大規模な典礼に合わず、三葉のシンメトリーがもたらす形態美にも関わらず捨て去られたと言える。トゥルネィ大聖堂に関しては三葉のほうが巨大な塔の存在感が強調されるのではないかと思えて残念な気がする。

 局地的影響についてはまだ考えをまとめる必要がある(三葉内部の比較と共に次回)。

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