バシリカ型聖堂でアプシス、両トランセプト共に半円形でしかも同型をとるタイプを三つ葉のクローバーに似ていることから三葉型(Dreikonchen)と呼ばれる。プラン上でも実際の見た目にも均整のとれた美しいその外形は末期ローマ時代、ケルンのカピトール神殿に建てられたマリア聖堂(場所にちなんでザンクト・マリア・イム・カピトール Sankt Maria im Kapitolと呼ばれ貴婦女の修道院であった)にその原型が見られ、1050年代の大規模な改築により完成されたスタイルとして登場した。
ザンクト・マリア・イム・カピトール教会(ケルン)
左:東側から、右:航空写真(以下、航空写真は全てGoogle mapから)
4世紀 | 11世紀の改築後 |
ケルン市内の三葉型内陣を採用した聖堂
ザンクト・アポステルン | グロース・ザンクト・マルティン |
ケルン以外の三葉内陣の例
ザンクト・クヴィリン教会(ノイス) | ベネディクト会修道院聖堂(ロルデュック、オランダ) |
聖ヨハネ修道院礼拝堂、ミュスタイル(スイス)
グラウビュンデン州ミュスタイルにあるカロリング朝時代の礼拝堂。小さな建築であるが、三つ葉型である。ミュスタイル渓谷からフィンシュガウ渓谷にかけての地域にはカロリング時代の建築が複数残存し、初期中世の教会堂建築がどんな感じであったかが朧気に実感できる。南方(イタリア、東方)から北方へ至るルートであるので、三つ葉型の伝搬経路の一つであるかもしれない。
三葉型内陣に関するここ数年の疑問を比較建築研究会の浜村さんのおかげでかなりの部分が理解出来るようになった(感謝)。生物の進化と同じく建築も機能発現の必然性がなくなればそれまで現れていた形態は失われ退化していく。三葉型にも同じことが起こったらしい。その端的な例が次の聖堂で起こった。
ノートル・ダム大聖堂創建時のプラン
ベルギー南部のフランス国境に近いトゥルネィはメロヴィング朝のシルデリック時代に首都であったがノワイヨン司教区の管轄下にあり大聖堂が建てられた頃ようやく司教区に昇格した。それに加えてコミューンも強大であったことからたいへん意欲的な建築で、近郊で採掘される大建築に最適な硬質石灰岩をふんだんに使ったその建築はノルマン風な四層立面構成、初期フランスゴシックの二重壁体構造、ゲルマンの多塔構成(及び創建時には三葉型内陣)をうまく融合させている。大聖堂はおそらくこの状態でいったん完成した後、当時の司教が典礼には狭すぎること、同時期に次々と建てられていた北フランスのゴシック大聖堂に見劣りがすることを理由にサン・ドニ修道院を手本にして内陣部分をゴシック様式に改築した。プランを見ても最も発展した三葉形態であるが、もはやこの形態は司教座教会の大規模な典礼に合わず、三葉のシンメトリーがもたらす形態美にも関わらず捨て去られたと言える。トゥルネィ大聖堂に関しては三葉のほうが巨大な塔の存在感が強調されるのではないかと思えて残念な気がする。
局地的影響についてはまだ考えをまとめる必要がある(三葉内部の比較と共に次回)。