Ville de Tournai, Hainaut, Belgium.


 五塔の大聖堂 Cathedrale Notre-Dame で知られるトゥルネィはトンゲレンに次いで古い町で、メロヴィング朝時代にシルデリック王の宮廷があった。シルデリック王の死後クローヴィスが481年に初代フランス国王と宣言された町である。フランスにも近く国境まで10分程。中世には常にエノー伯領であった。ホイジンガによるとエノー伯領は「最も保守的な騎士道」がずっと残っていた。ネーデルランド派の画家の多くがここの出身で工房も多くあった。中でもロベール・カンパン、ファン・デル・ウェイデンはよく知られ、ドイツ生まれのメムリンクもブリュージュに定住する前はここに住んでいた。それらの作品のいくつかは市立美術館(設計者の名前をとって「オルタ美術館」とも言われる)にあり、ウェイデンの作品については原寸パネルで全作品が展示されている。音楽でも「トゥルネィのミサ」(アンサンブル・オルガヌムによる演奏がCDで出ている)は有名。宗主も頻繁に変わり、イギリス領だったこともある。第二次大戦末期のノルマンディー侵攻後に爆撃で旧市街をはじめ大きな被害を受けた。戦後ほぼ完全に修復され、20世紀末になってノートル・ダム大聖堂と鐘塔がそれぞれ世界遺産に登録された。
 多彩色の夕方から湿気を含まない大気のためセーヴルのような深青な夜の空が美しく、それらの写真でまとめてみました。


トル橋
Pont des Trous (13c.)
昼の橋

 エスコー川にかかるトゥル橋(13世紀)、かつて(第2期)市城壁の一部だったもの。最終的に巡らされた城壁は更に少し外側の所にあり、ほとんどが道路になっているものの一部にまだ残存している。現在左塔は「クロヴィスの料理屋」として利用され、お店の人たちは当時風の衣裳を着て迎えてくれる。大聖堂の塔はまるで冠を戴いているようにみえる。その右が鐘楼、更に右の尖塔はサン・ジャック教会(12世紀)で、市中の聖堂で最も装飾的に豊かな塔であるが群塔の前ではやや影が薄い。日が落ちると主要な建物はライトアップされる。


Grand Place
グラン・プラス

 丘の上にある旧市街の中心。大聖堂は少し離れた所にあって広場に面していないので世俗中心の場所である。広場の一方に鐘塔が単独で建ち、少し離れてルネサンス風な織物会館が建っている。市庁舎は現在広場から少し離れた所にある。定期的に市が開かれている生活の中心。

鐘塔 Beffroi 12c.-1294, reconst. 1391

 ベルギーで最古の鐘塔、大聖堂の東端でグラン・プラス入口に建てられている。ヨーロッパの都市コミューンは中世に確立し、領地の支配者だった封建諸侯に対しコミューン構成メンバー個人の自由、住居と不動産の不可侵性、財と人の流通に対する障害の撤去、市と市場の自由な開催と出入り、市城壁を構築する権利に加えて独立の象徴として鐘を所持する権利を獲得した。ベルギーでは特にコミューンが強く、各都市に鐘塔Beffroiが建てられた。旅行中多くの鐘塔を見ることが出来、その中でもトゥルネィの鐘塔はブリュージュのように重々しくなく、ブリュッセルやゲントほどには装飾されてないにも関わらず形態そのものの美しさがある。すぐ隣に建つ5つの塔と比べると意図的に白い石材を使っているため明るい雰囲気であり、高さは大聖堂の塔に匹敵する。起工が1100年代なので大聖堂よりも古く、鐘塔基部の入口などはロマネスク様式が残っている。第1段目の四隅にある小塔モティーフは大聖堂交差塔からの影響か。内部は上まで上ることが出来るらしいけれども入口がわからず上れなかった。
 鐘塔は普通市庁舎に組み込まれるか隣接して建てられたり(ブリュッセル、アントヴェルペンシント・トルィデン)、商人にとって市庁舎よりも重要だった繊維ホールに建てられたり(ブリュージュ、ゲント、イーペル)することが多い。トゥルネィの鐘塔はこれらと異なり全く独立した単塔で、トゥルネィ以降市庁舎や繊維ホールに組み込まれていくようになったと思われる。トゥルネィの市庁舎(17世紀、いくつかの博物館、美術館を含む高台で広い庭園の中にある。グラン・プラスまたはマルクトの一角を占めないこのようなプランはベルギーでは珍しい)は鐘塔から500mほど、繊維ホール(ルネサンス様式)は50mほど離れたグラン・プラスの中心に建つ。観光案内所はこの鐘塔の向かい側にある。

メリーゴーランド

 グラン・プラスに設置されたメリーゴーランド、1904年製の移動可能なタイプ。動力源は電気である。子供にたいへん人気があって昼間は常に誰か遊んでいた。夜もこの日(9月12日、「ペスト平癒の記念行列」の前日)は特別遅くまで稼働しているけれどもさすがに11時過ぎると子供たちはいない。イルミネーションがたっぷりで雰囲気が昼間と全く変わってしまう。円の中央に同じ時期制作の自動オルガンがあってそれが演奏を担当。博物館の展示品ではない生きた自動オルガンをはじめて見ること(それと聴くこと)が出来た。レパートリーは19世紀末までのオペラアリアなどであり、音色は明るめ、ピッチは高めであるので『椿姫』の「愛してるわ、アルフレート」は悲劇を感じない演奏になってしまった。『夢遊病の女』の「狂乱の場」などは逆に雰囲気によく合っていた。青色の柱はライトアップされた噴水、囲いなど全くなくグラン・プラスの地面に直接埋め込まれ、鐘塔の方まで2列に並んでいる。1分おきくらいに2mくらいの高さまで上がり、そこを濡れずに駆け回るのが子供の間で流行っている遊びのようであった(雨の間は噴水もお休み)。
 昼間、この広場に変わった市が立った。ヨーロッパ各国の特産品を国別のブースが売る見本市風な市で、間もなく流通が始まる統一ユーロ通貨のみを使用する決まりがあった。換算レートは1ユーロ=100円くらい、換算し易い数字である。2002年から予定されているユーロ通貨が流通すると各国の通貨は使用出来なくなる。

Eglise Saint Jacques (12c.)


Belgium Hochwald Holzweg 
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