彫刻のモティーフについてのHolwegな一考察

 ポアトゥー・サントンジュ地方ににいまなお多数現存する聖堂建築のファサード、柱頭などには様々な彫刻が施されている。質量共に大きな位置を占めるのは当然ながら聖書の記述に基づいたものであるが、細かな部分に見られる動物、植物、その他の彫刻については東方、ケルト、その土地の古来のもの等が起源とされている。
 ポアチエのノートル・ダム・ラ・グランド教会のファサードを例にとると、聖書の記述を図像化したモニュメンタルな彫刻の隙間を埋めるかのように種々のモティーフの彫刻が見られる。これらをみているとまるで埋まっていた化石が岩壁に露出しているように思われてくる(図1)。
図1:ファサード彫刻から、巻貝の化石のよう
 PoitouからNormandy、大西洋岸地域はジュラ期には海底であり1)、石灰質系の土壌もこの頃迄に形成されたと思われる。Baloge2)によると、Saint Maixentで産出される石灰岩について調べたところ、これらはドロマイト化していず、ジュラ期の良好な化石を多数含んでいることがわかった。このSaint MaixentはLusignanから近く、『メリュジーヌ物語』でも言及されている土地である。ここにある聖堂にはプレロマネスクの部分も現存している。
 このことから、Mysterious sclupteurのうちのいくつかは採石場で見つかる化石に発想を得ているのではないかと想像してしまう。もちろん、確証するのは不可能である。聖堂建築の主な石材は近場で採掘される石灰岩であり、岩場から切り崩したり石材に成形するときに不意に化石が現れたりすることは実際起こったのではないだろうか。それも少なくない頻度で。現代でも日本橋の三越にはアンモナイト入り大理石が壁面化粧材として使用されている例がある。ひょっとすると旧約聖書の大洪水の結果滅ぼされた動物の死骸と思われていたのかもしれない(図2)。
 実際にみた限りで柱や壁の石材には化石を見つけることは出来なかった。これは通常石材にのろがけをして漆喰で表面が覆われてしまうため隠されてしまっているのではないかと思われる。
図2:三葉虫を思わせるような彫刻。これはシャルトルの彫刻であるが同様の例をポアトゥーでも見た

 太古の恐竜の骨は現存の動物からは想像出来ないような大きなものが多く(大型恐竜の大腿骨などは2m以上もある)、中世においてこれらが偶然見つかるとそれらをドラゴンや巨人に帰属する(聖書にも記述があるではないか)のは当時の常識的な発想からいけばごく自然な帰結であるように思われる。

 化石の多産地と彫刻のモティーフには何か関係があるかもしれないと思うものの、今のところデータが不足している。もう一つそう思えるような理由として化石を含まない火成岩系土壌であるマリア・ラーハにはこのような彫刻は見られない、ということもある。同じ火成岩系であるオーベルーニュ地方はどうであろうか。

ポアチエのノートル・ダム・ラ・グランド教会から、ヒトデのような装飾彫刻

Refference
1) Stratigraphie sequentielle des series du Bajocien inferieur an Bathonien moyen du seuil du Poitou et de son versant aquitain(France).
C. Gonnin, E. Cariou, P. Branger, C R Acad. Sci. Ser. 2b, 316(2), 206, 1993.

2) Sur la presence du genre Haurania Henson, dans le Lias Inferieur de la region de Saint-Maixent, poitou, France.
P. A. Baloge, Rev. Micropaleontol., 24(3), 127, 1981.

Poitou - Saintonge roman Romanesque Holzweg
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