メリュジーヌの遺産
ポアトゥー、サントンジュ地方のロマネスク
Romane Poitou - Saintonge region

 メリュジーヌ、またはメルジーネを知ったのはゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』に収められた短編『新しいメルジーネの話』を読んだ時で、この伝説がポアトゥー地方に深く結びついていることをこの地方を実際訪れた時初めて知った。メリュジーヌは上半身が女性で下半身が蛇の妖精で、ポアトゥーのある一族に幸運と不幸をもたらしたばかりでなく、ポアトゥー地方の多くの町、城塞や聖堂を彼女が建設の指導を行ったという伝説がある。12世紀にシトー会修道士により言及されたのが最も古く、書籍商クードレッドにより15世紀初めに成立した『メリュジーヌまたはリュジニャン物語』はフランスはもとよりヨーロッパ中に流布した。この地域の建築がメリュジーヌによりもたらされたという伝説はもちろん歴史的事実と異なる。しかしこの地方のロマネスク建築はフランスの他の地域と異なったユニークなもので、それはたいへん魅力的でありメリュジーヌの気配さえあるような感じがする。
 エミール・マールはこの地方のロマネスクについて次のように述べている。

 まだ広大な地域が残っている。西フランスのサントンジュ地方やポアトゥー地方についてはまだ語っていない。しかも、フランスでロマネスク芸術がこれほど魅力にあふれている場所は他にないのである。

『ロマネスクの図像学』下、11-VI, p.313.

 また、アンリ・フォションはファサードや柱頭を飾る彫刻について
 おそらくいかなる芸術も、これほど大胆には人物像の形体を建築の枠組に従わせるために人物像をいじくりまわしたことはなかったであろう。また同時に、十二世紀においては、いかなる芸術も、壁面に宙づりされて取付けられた彫像などの種々の手法を使って、かくも良く人物像の形体的調和と比例を尊重したことはなかった。そして、ロマネスク彫刻が機能を忘却し装飾過多や絵画的効果の追求という、全くバロック的になる遺産を、最も多くの遺構についてたどることのできるのも、この地方なのである。

『ロマネスク』上、2-III, p.197.

 ポアトゥー・サントンジュ地方はフランス大西洋岸、北のアンジュー、南のボルドーに挟まれている(地図)。日本ではポアチエやサントよりも「コニャック」の産地といったら通りがよいかもしれない。

 ニオールから大西洋沿岸にかけての西部は「緑のヴェネツィア」と呼ばれ、季節になると特産の緑牡蛎を育てる沼沢地帯が広がる。牡蛎にうるさいアメリカの食文学者マリー・フィッシャー(1908〜1992)は

 フランスの町の屋台で寒風にふるえながら食べる牡蛎は飾り気がなく、これぞ牡蛎という味がする。矢筈模様に積まれたポルチュゲーズやガレンヌと呼ばれる種類の牡蛎は緑がかっていて、慣れない者には傷んでいるようにも見えるが、味はとびきりだ

『オイスターブック』、p77、椋田直子訳、平凡社ライブラリー、1998年 

 ジロンド川までの南部は所々に丘があり葡萄の栽培に適し、特にジロンド川に沿った地域は夏でも冷涼でロワイアンを初めとする避暑地が多く、ルドンもロワイアンに近いサン・ジョルジュ・シュール・ジロンドで毎夏過ごしていた。内陸に入り東側になると(夏はとても暑い)、起伏に富み森林と麦や向日葵畑の広がる地域である。ポアチエやアングーレムなどは丘の上に建設された都市である。ヨーロッパの他の地域に劣らずケルトやガロ=ローマの文化が色濃く残っている。比較神話学者ジャン・マルカルは
 ポワトゥ地方は、アリエノール・ダキテーヌの時代には(12世紀)、ケルト語の伝承とオック語の伝承が合流した、すばらしい文化のるつぼであったという事を無視してはならない。トリスタンとイズーの伝説はもともとアイルランドのものであり、・・・(中略)・・・この物語が発見されたのはポワチエであった。さらにポワトゥ地方は、ローマ人の征服以前にたいへんな勢力を持っていたガリア人の一部族である、ピクタヴィ族(ピクトン族またはピクタヴ族)がかつて居住していた地方であり、ドルイド教を奉ずるケルト人の考古学的痕跡を数多くとどめていた。そしてガロ=ロマン時代でさえも、サンクセイの遺跡のように、ローマの宗教とドルイド教との統合の結果とみられる神殿がいくつもあった。

『メリュジーヌ』、p34  

 ケルト文化はこの地方に二重の影響を及ぼしている。一つはローマにより追われる以前の文化の残存したもの、もう一つは大西洋岸という地の利から、アイルランドやイギリスから「逆輸入」された文化である。また、「ポアチエの戦い」以前にはイスラム勢力の北限でもあった。このような豊かに交錯する文化から生まれた建築は、ロマネスク時代の地方色豊かな地域差を超え、ゴシック時代になると北フランスのヨーロッパ世界に普及する形式に対していち早く見事な反証を呈示する。これらに加えてジュラ期の海底で形成された彫刻向きの柔らかさと建材に相応しい強靭さを持った良質の石灰岩が豊富なことがポアトゥー・サントンジュ地方の聖堂と彫刻装飾に大きな方向付けを与えた。


ポアチエのロマネスク聖堂

ノートル・ダム・ラ・グランド教会聖堂
サン・ラデゴンド修道院聖堂
サン・ポルシェール教会聖堂
サン・チレール・ル・グラン教会聖堂
聖ヨハネ洗礼堂とサン・ピエール大聖堂

ポアチエ近郊のロマネスク聖堂

ショーヴィニーのサン・ピエール教会とノートル・ダム教会
内陣柱頭彫刻
サン・サヴァン旧修道院聖堂(サン・サヴァン・シュール・ガルタンプ)と天井画
サン・ピエール大聖堂、アングレーム

サントンジュ地方のロマネスク聖堂

オールネィのサン・ピエール教会
シュルジェールのノートル・ダム教会
サントのアベィ・オ・ダム(女子修道院聖堂)
サントのサン・テュートロプ教会聖堂
タルモン・シュール・ジロンドのサン・ラデゴンド教会聖堂

ポアトゥー・サントンジュ世俗ロマネスク

ニオールの城塞塔
ショーヴィニーの城塞

彫刻と化石

ポアトゥー・サントンジュロマネスク聖堂リスト


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