メリュジーヌの遺産 Pt. 2. |
『メリュジーヌ物語』 ポアチエ近郊の領主、レモンダンは妖精(はっきりした素性はレモンダンにも最後まで明かされない)メリュジーヌと出会い、毎週土曜日に何をしているか詮索せぬこと、知ったとしてもそれを人に話さぬことを条件に結婚する。結婚直後からメリュジーヌはリュジニャンに居城となる城を築いたのを最初にポアトゥー全体に町や城、教会を建てていった。10人の子供たちは体のどこかに一カ所欠陥があった(牙のような歯、三つ目など)が何れも素質に恵まれ、エルサレム、アルメニア、キプロス王となった。一族が絶頂のなか、ある日レモンダンはついに禁を破ってしまう。土曜日に水浴中のメリュジーヌの姿を見てしまうのである。メリュジーヌは上半身が女性の体、下半身は蛇の妖精であった。姿を見られたメリュジーヌは一族の繁栄と衰退を予言し、リュジニャンの領主が代わる三日前に告知することを約束し永遠にレモンダンの前から姿を消す。物語後半は子供たちの活躍と末裔の現在が述べられる。 史実 伝承 メリュジーヌとアリエノール・ダキテーヌ アリエノール・ダキテーヌは、しばしばメサリーヌやメリュジーヌと比較されてきた。メサリーヌの方はあえて反論するつもりもないが、メリュジーヌと同一視するのは少々酷ではないだろうか(現代的な考え)。メリュジーヌはポワチエ地方の伝説に歌われた妖女である。
ルドンとメリュジーヌ メリュジーヌ関係の資料 妖精メリュジーヌ伝説 メリュジーヌ物語 メリュジーヌ 蛇女=両性具有の神話 |
以下の引用はクードレッド作、松村剛訳『メリュジーヌ物語』(青土社、1996年)による。( )内は行番号。
メリュジーヌは、どのように作業するかを決めていた 固い岩の上に最初の石を置いて据えた わずかの時間で彼らは大きな塔を建て、見事に作った 彼女の指示通り、断崖の上にしっかり乗った高い壁も作り上げた (1320-6) |
『メリュジーヌ物語』に登場するところ
この年、ラ・ロシェルを美しい奥方メリュジーヌは建造した (1413-4) |
大西洋岸の港町ラ・ロシェル La Rochelles の要塞建設は11世紀に始まる。現存するのは14世紀以降に建てられたもの。ナポレオンが最後に滞在したフランスの町でありシャラント産ワイン(特にコニャック)はこの港から輸出された。コローの風景画で有名。 |
その後、間をおかずに サントにとてもきれいな橋を架けた (1416-7) |
サント Saintes 市街の中心を流れるシャラント川の中州にガロ=ローマ時代の「ゲルマニクスの凱旋門」が建てられ、そこに美しい橋がかけられていた。 現在は川の流れが変わり凱旋門は川岸にある。 |
タルモン地方でも働き それゆえ高い名声を獲得した (1419-20) |
タルモン Talmont sur Gironde という地名はサントンジュ地方に二つあるが、ジロンド河口のほうを指す。今でこそ田舎の村落であるが12世紀にはサンチャゴ・デ・コンポステーラへ出発する重要な港であった。港を見おろす岬に12世紀に建てられたサン・ラデゴンド教会。 |
彼女は当時、ニオールで一対の塔を持つ美しい城塞を建てていた (2839-40) |
城塞については世俗ロマネスク。本書で具体的に建築の特徴を挙げ、それが現在も確認できる唯一の例 |
聖堂のアプシスに記されたメリュジーヌの署名、
Eglise Saint Pierre, Aulnay de Saintonge
メリュジーヌの遺産
Pt.1 ポアトゥー・サントンジュのロマネスク
Pt.3 カニグーのサン・マルタン修道院