ラロンの薔薇

10月、穏やかな正午
 詩人のために少し寄り道をしてヴァレーのラロンを訪れた。シオン−ブリーク間のローカル線沿線(主幹線は別にある)にあるラロン駅は他に降りる人もいない。狭い谷間をローヌ川が流れ、一本の橋が駅と村を結んでいる。平坦で平凡な住宅地を抜けて岩山の麓から教会へと続く細くて急な登り道になる。岩山上にある教会の背後の更に高みを鉄道が走っているのに気がついた。観光シーズンが終わっているせいか、一人の人にも会わなかった。


ローヌ川にかかる橋上から、雪を戴くアルプス


麓から岩山上の教会へ続く道

 ブルクキルヒェ(城砦教会)はもともと谷を見下ろす城砦に建てられた付属教会であったのであろう。今は城砦の痕跡は全くない。17世紀の建築であるのに三廊を同じ屋根覆ったずんぐりした姿からもっと古い時代の建立のように見える。チューリヒの民族博物館にこの教会旧蔵の12世紀の聖母子像があったのでその頃には既に教会もあったのであろう。詩人、『マリア様の生涯』の作者、の生前にはまだ聖母子像が教会にあったのかもしれない。


Burgkirche


Burgkirche旧在の聖母子像(12c.)
国立民族博物館、チューリヒ、同じ展示室にミュスタイルの壁画がある。

 ここは以前訪れたカニグーのサン・マルタン修道院からみた景観にも似て墓碑のある場所は地上よりも天上に属している。教会の墓地は東と南の二つに分かれ、詩人の墓碑は他の少数の墓と共にアルプスを眺望するテラス、南側にあった(残念ながら橋上でみたような景観は雲に隠されてしまった)。生前自らの墓所として選んだテラスは日当たりが良くアルプスから吹き晒す風を直に感じるこの教会の、あるいはヴァレーの谷の特権的な場所である。


詩人の墓碑銘、生前から選んであった

 季節は終わってしまっているのに一輪の薔薇が、数の上では圧倒しているゼラニウムの上を君臨していた。美しく薔薇を詠い薔薇の手に掛かって死んだ詩人の墓前にはどんな季節にも絶えることはないのかもしれない。

 墓碑を離れ、この先また訪れることがあるのかと考えながらラロン駅へ戻る。ブリーク経由で9世紀の教会があるシュピーツへ向かい残りの一日を過ごすことにしていた。ブリークを出発してから列車は急勾配の坂を登り始め、教会を見下ろすルートを通ることに気がついた。時間で推測してラロンを通過すると思われる頃、車窓から再びブルクキルヒェを見ることができた。ブリークからシュピーツ間を走る二本の路線のもう一方は全く別のルートを通るのでこのルートを選んだのは運が良かった。


一瞬、教会が姿を現わした。続いて麓の住宅、つい先程歩いた道



薔薇の詩人、ライナー・マリア・リルケ

リルケとレース  

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