4.様々な楽器

1.オルガン
 中世後期以来、オルガンは楽器の王として教会やコンサートホールに君臨している。古くて新しい楽器で、紀元前に遡りながらも、西洋では9世紀にもたらされ、独自の発展をしていった。12世紀には大型化の兆しがみえる。
ユトレヒト詩編、ランス近郊で制作、820〜835年頃
オルガン ーカロリング時代まで
 『ユトレヒト詩編』は線描だけで挿画が描かれた珍しい写本で、カール大帝没後間もなくランス近郊で制作されたと考えられている。挿画の中に描かれたオルガンは水力オルガン(水力で空気を押してパイプに送る)で、757年に東ローマ皇帝コンスタンティヌス5世からピピン(カール大帝の父)に水力オルガンが献上された記録がある。826年にはアーヘンでオルガンが建造された。『ユトレヒト詩編』は水力オルガンの特徴をよく伝えているので、献上されたオルガンか826年のオルガンをもとに描かれている可能性がある。なお、この『ユトレヒト詩編』は11世紀初めにイギリスに渡り、そっくり複写された(『ハーレー詩編』 British Library, Harley 603.)。オルガンの部分も同じように描かれているので、両方の写本の由来を知らないとオルガンの証拠が11世紀までしか遡れないことがになる(実際、web上ではそうした間違いが多い)。
 紀元前1世紀にウィトルーウィウスは『建築十書』(第10書8章)で水力オルガンの製作方法を記述している。ローマ時代のオルガンの用途はもっぱら、宮廷や劇場で使う楽器であった。ネニッヒのローマ軍駐屯地跡から出土した床モザイクには水力オルガンと演奏者が描かれている。アクィンクム(ブダペスト近郊)から発掘された紀元3世紀頃のオルガン小型であった。このオルガンはWalckerにより復元されている。
ウィトーウィウスの『建築十書』からオルガンについて再現したもの

オルガン ーロマネスク時代
 水力オルガンの代わりに現在のような風力で音を出すオルガンが作られるようになる。
 11世紀後半、ライヒェナウ島ミッテルツェルのマリーエン修道院の修道士であったと考えられるテオフィルスは『さまざまの技法について』という技術書を著述した。第3巻81〜84で風力で音を出すオルガンの建造方法について詳述している。
 81 オルガンについて
 82 オルガンの風箱について
 83 送風機について
 84 風箱とその送風機について
『さまざまの技法について』のオルガン建造の記述から再現したTheobaldの復元(1933)
 各音を出すためのキーは今日の鍵盤とはほど遠く、一部でそれらしきものが登場してきた状況であった。『シトー会の聖書』(12世紀)にはオルガンの演奏場面が描かれている。ふいごで風を送るタイプで鍵盤はボビンレースのボビンに似たレバーを引っ張って音を出す。また、ランスで制作された12世紀の写本に描かれたオルガンはボタン状の鍵盤がついている。
 12世紀の小型オルガンの音は復元され、聴くことができる(例えばEnsemble OrganumのCD)、大型のオルガンの音はやかましかったらしい。種村季弘は「ところで中世のオルガンは、楽器製作技術の未発達のために、かろやかに鍵盤上を運指するというようなものではなかった。鍵盤そのものが今日よりずっと幅広かったので、ほとんど「拳骨でぶん殴る」ように鍵盤をぶっ叩いたのであるらしい。ラインホルト・ハマーシュタインのようなオルガン専門家に言わせるなら、当時のオルガン演奏はさらさらお上品なものではなく、今日ならさしずめ「フットボール試合のかけ声や応援音頭におけるように」、音の出るものなら洗面器からドラム缶から何でも動員して、ドンチャカブカブカ、とめdもなく騒音を立てまくる雑音音楽のようなものだったということだ」(種村季弘、ビンゲンのヒルデガルトの世界、p213、青土社、2002年)。
 もっとも、ジルバーマンオルガンのような名器といわれるオルガンでさえも、パイプの間近で聴くと相当やかましい。この時代はまだ、「楽器の王」として君臨していなかったようである。
左:レバーのような鍵盤、『シトー会の聖書』、右:ボタン状の鍵盤、『詩編』、ランス、共に12世紀

inserted by FC2 system