見渡す限り洋梨畑 Sint Truiden 16. Sep. 1998.

洋梨

さまざまな洋梨
修道院 マリア・ラーハ ライヒェナウ サン・サヴァン
果樹園 シント・トルィデン カニグー フィンシュガウ
店先で イリエ=コンブレー マインツ

洋梨を讃える画家と詩人、クレーとリルケ

洋梨のカタログ 『失われた時を求めて』から

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地球の形
 地球が丸いという説は古代ギリシアからあり意外なことに中世にも支持する人もいた。マゼランが実際に航海してそれを証明した。20世紀に入り赤道地帯の未踏地域での測量が行われることで地球は球形ではなく赤道方向が少し大きい回転楕円形であることがわかってきた。戦後観測衛星の打ち上げで更に詳細な測量が可能になり、その結果から北半球が少しくびれた洋梨型をしていることが判明した。火星も同様に洋梨型であることがわかった。

アウグスティヌスの投げたもの
 前にアウグスティヌスが悪戯で洋梨を豚に投げつけたことを紹介した。最期の古代教父と言われるアウグスティヌスの著作で最も読まれてきた作品は『告白録』でその中に「時間」についての議論がある(11巻14〜28章)。20世紀にフッサールが「学識を誇る近代もこれら(時間)の事柄については、真剣に努力したこの大思想家を遥かに凌ぐほどの、たいした研究を成し遂げていないからである」(内的時間意識の現象学)と言ったアウグスティヌスの結論は簡単に言うと「時間がないところに、時間は存在しなかった」である。
 偶然にも先日、『ホーキング、未来を語る』(スティーヴン・ホーキング、佐藤勝彦訳、アーティストハウス、2001年)という本を読んだ。「時間の形」という章で「時間」について述べていて、一般相対性理論から出発し実験や観測データに基づいた現代の時間論はアウグスティヌスの時間論に「非常に近い」。いわゆるビッグバン以前には時間は存在せず、その時間の形は現在の観測者から(過去に向かって)見るとある地点で極大になり、ビッグバンに収束していく「洋梨の形」をしているという。
 地球の形ばかりでなく時間の形も洋梨!。洋梨はついにニュートンの重力林檎を超える果物となった。アウグスティヌスは洋梨を未来に投げたのかもしれない。


ホーキングの説による洋梨型の時間

「洋梨で卵を割る」
 13世紀、フランスを中心に活躍した建築家ヴィラール・ド・オヌクールは『画帖』で知られる。遠くハンガリーまで旅行し、各地で建てられつつあった大聖堂の平面や細部のスケッチをのこし、盛期ゴシック建築を知る上での第一級の資料である。この画帖は多くの人により研究されていてかなりの部分を解明されているが、何を描いたのかわからないものもまだある。その中で最も不思議なものはfol. XLI に描かれている一本の実をつけた木であった。


 スケッチに添えられた文章には「こうして、定規を用いて、卵を梨の木の下に置き、その梨が卵の上に落ちるようにする」とある。このページにはリブヴォールトの平面図などが描かれていて関連はなさそうである。なぜ洋梨で卵を??、ニュートンに先駆けて引力を発見しようとしたのか、謎は深まるばかり。

「梨」にも生れは「有」
 平安時代に梨は「なし」=無で縁起がわるいということで「有の実」と呼ばれていた。梨(Pyrus Communis)は林檎、桃、いちご、桜などと共に薔薇科に属す果樹である。梨の3大原種(中国梨、日本梨、西洋梨)の一つ、洋梨(もちろん、日本というローカルな場所を基準にしている。西洋では単なる「梨」であり日本の梨は「日本梨」または食感から「サンド・ピア」とも言われる)は西アジアからヨーロッパ、アメリカにかけて分布する。起源は中国から派生したと言われ、地理的分布(動物によって運ばれたらしい)や遺伝学的分析からも支持されている。

「梨は円錐形をしている」(プリニウス)−梨の品種
 洋梨の品種も古来から多くありギリシアのテオフラトスは14種、プリニウスは「博物誌」で44種を数えている。ルイ14世の時代には約3000種、現在では数万種存在するといわれ、品種登録されているが絶滅したものも多い。有名な「ラ・フランス」もフランスでは病気のため一度消えている。日本で品種登録されているのは14種ほど。

洋梨は「おあずけ」
 洋梨は実がなって収穫しても「追熟」を行わないと食べられないことはよく知られている。木についたままでは熟さず、日本梨ではこういうことは起こらない。実の中に蓄えられたソルビトールが蔗糖に転化するのに時間がかかるためであるが、追熟を必要とすることが西欧でさえ普及を遅らせたことは明らかである。
 「創世記」でエヴァを誘惑するのに蛇が林檎を差し出す。もしこれが洋梨だったら熟するまで食べられないのでその後の展開は変わったのではないかと思う。それとも追熟を知らずに食べてしまったりエデンの梨は特殊な品種で木からもいですぐに食べられるのだろうか。
 その後、品種によっては樹上で熟すことが出来る種類のあることを知った。そのような種類はりんごのようにもいだ後すぐ食べられる。

「梨のつぶて」の報い
 「梨のつぶて」はこちらから催促しても何ら返答がかえってこない状態を梨=無しにかけた表現であった。古代キリスト教父の一人アウグスティヌスは若い頃、豚に投げつける悪戯をするため洋梨を盗み、生涯これを悔いていた。一方アッシジのフランチェスコは病のフランス王を治すため洋梨の苗を贈り、これを育てるよう言った。王の病気が精神由来であることを見抜いていたのである。今で言うなら園芸療法といったところか。歴代フランス王の洋梨好みはここからきているのかもしれない。

美しい梨
 本当かどうか、真珠「pearl」の語源は梨についた水滴の美しさから来ているという説を一度ならず読んだことがある。昔から洋梨は美術作品に多く登場してきた。有名なところではラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂のアプシス天井モザイクには「神の子羊」の周りを洋梨とマルスの実(林檎一般)がとり囲んでいる。アルチンボルドの有名な果物肖像画にも当然登場している。また、セザンヌの静物画には林檎や桃に次いで洋梨も登場している。ルドンもレゾネをみるかぎり何点か描いている。
 しかし何といっても梨にオマージュを捧げた最も有名な画家はパウル・クレーである。『洋梨を讃えて』は1939年、最晩年に描かれている。病気のため手が不自由で作品数も激減していたが創作欲はかえって旺盛で、多くの天使像を描いていた頃である。それと共に果物、とりわけ梨が頻繁に登場する(「病気の果物」、静物(遺作)など)。クレーと果物、洋梨について論じた研究はいまだ見たことはないけれども、梨好きにはとても気になる。
 クレーの他にはルネ・マグリットが油彩「不思議の国のアリス」で洋梨頭を登場させ、同じくエッチング作品に薔薇の花が咲いた洋梨といういかにもマグリットらしい作品がある。

Er hat eine weihe Birne
 「洋梨」のイメージするところは「豊穣」、「美しい胸」などがある一方で一定した形を持たない(その極度の抽象性がいいのだけれど)ために「形のない」転じて「形式を持たない、つまらない」といった意味もあり、サティが自分の作品を「洋梨の形をした」と命名したのもここからきている。タイトルにあるドイツ語の成句に直訳すると「彼は柔らか梨だ」というのは「彼の頭はどうかしている」の意味になる。一方、女性に対して「あなたの胸は梨のよう」というとたいへんな誉め言葉なのだそうであるので、誉める場所を間違えてはならない。

洋梨の里
 日本で洋梨の産地というと最近山形県が有名である。本場ヨーロッパではどうか。生産量は圧倒的にイタリアが多く世界一である。しかしツィトロンバウムの繁る国は他の果物も豊富である。どこかに「洋梨の里」がないか、日頃から気にしていたら偶然見つけることが出来た。ベルギーのシント・トルィデン(フランス名サン・トロン)を中心とする地域である。ベルギーの余所の所でシント・トルィデンに滞在すると言うと「何で?」と相手は思うらしいが「梨が好きだから」と続けると納得してくれた(必ずにっこりして)。ベルギーのこの町を中心とする地帯は国内有数の果物地帯だそうで、様々な果樹があるらしい。事実を確かめるべく、98年のそろそろ収穫が始まる頃にシント・トルィデンを訪れた。町に近づくにつれ、電車から見える風景に果樹地帯が広がっていた。町に滞在し、郊外まで出かけるとまさしく洋梨の里、見渡す限りの洋梨という場所もあった。一本の木になっている数もたいへん多く、木の種類も多い。日本のように矮化はしていないので、大木になっているものもある。もちろん林檎の方が圧倒的に多くてざっと見た感じでは林檎:洋梨=5:1くらいの割合であった。
 日本やアメリカ、イギリスで育成されている洋梨はベルギーで品種改良されたものが少なからずあり、生産の絶対量は少ないものの「洋梨の里」にふさわしい。「ベルギー人」の探偵ポワロ(Poiret)もどことなく洋梨(Poire)の雰囲気がある。
 その後洋梨の島ライヒェナウや世界最大の林檎生産地域であるフィンシュガウ渓谷でたくさんの洋梨に出会えた。

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