最初かれは、凧や気球の製作に参画したのだが、のちに飛行物体を推進するエンジンをとりつけたプロペラを考案する。二、三の特許もとっている。エックルズによると、この考案は、のちに第二次世界大戦中、航空機製作会社の着目するところとなり、実際にもヘリコプターやジェットエンジンに利用されるに至ったという。『ウィトゲンシュタイン』、藤本隆志著、1981、p.49
彼の発案したエンジンの計画は残されていて、それによると彼のアイディアは燃焼室から急激に押し出される高速度のガスによって(ホースからの水圧が芝生の回転スプリンクラーに用いられているような方法で)プロペラが回転することになるということを示している。そのアイディアには基本的な欠陥があって、飛行機のプロペラにはまったく適用できなかった。しかし第二次世界大戦中いくつかのヘリコプターの設計にそのアイディアは首尾良く採用されたのであった。『ウィトゲンシュタイン』1、レイ・モンク、岡田雅勝訳、1994、p.34
空飛ぶ『論理哲学論考』?その前に飛ぶのだろうか
この「エンジンをとりつけたプロペラ」というのが第二次世界大戦末期のドイツで計画されたTriebfrügel Projekt(推進主翼計画)機であり、フォッケ・ウルフ社の、「トリープフリューゲル」(写真)ではないかと思われます。記述がかなり一致し、何よりもこれだけの発想を出来る人は歴史上限られています。
1944年に計画され、戦争の終結でそれ以上は発展しなかったこの計画機は主翼先端にラム・ジェットエンジン(フォッケ・ウルフ社のパブストによって開発されたのでパブスト・ジェットと呼ばれる)がとりつけられています。戦後、設計図はアメリカ空軍に渡り、コンベアFYポゴが試作され、その後のVTOL機へと発展していきました。
意外にもこのことは知らていず、ウィトゲンシュタイン研究家は上記の伝記的事実以上には追求しないし(「いくつかのヘリコプターの設計に首尾良く採用された」という記述は誤り、当時実用化されたヘリコプター、「コリブリ」などは普通のローター)、(航空機ファンは)航空機に関心はあってもウィトゲンシュタインは全く知らないようです。手許にある最近出版された内外の「ドイツ計画機」に関する数冊の本で記載されていたものはありませんでした(2006年現在変わらず、トリープフリューゲル自体の知名度は多少上がったにも関わらず)。どちらかというと、この航空機よりはヴィーンに建てた「ウィトゲンシュタインの家」(現ブルガリア大使館)の方がウィトゲンシュタイン「らしい」ように思います。徹底した無装飾性は同時期ヴィーンで活躍した建築家アドルフ・ロースやかつてのシトー会建築を彷彿させます。
ウィトゲンシュタインは1903〜1906年の間リンツの実業学校に通っていました。同時期通っていたのがアドルフ・ヒトラー(講義はかなりサボっていたらしい)、ただし何らかの接触を示唆するような証拠はありません。
側面図はGünther Sengfelder, German aircraft landing gear, Schiffer Publishing, 1993.から掲載