2000年7月28日、聖トーマス教会、ライプツィヒ


 ザクセン地方のロマネスク聖堂を巡っているうちに、気がついてみるとライプツィヒ近郊に到達していることがわかりこの日をライプツィヒに滞在することにした。早朝ブラウンシュヴァイクを発ち、午前中をテレマンの生まれたマクデブルクで過ごした後、ライプツィヒ行きのICに乗りケーテンやハレといったバッハやヘンデルに関わりの深い町を経ておやつの頃にライプツィヒに到着。町はバッハ一色、市庁舎はじめ主だった所ではバッハ関連のイヴェントが行われていた。まずはバッハがカントルを務めた聖トーマス教会へ赴く。この日、聖トーマス教会では『ロ短調ミサ』が演奏されることになっていた。


 聖堂北側にあるバッハ像(左)とその裏面(右)。日本でもコンサートのポスターやチラシその他で見る機会の多い銅像であるが、裏がどうなっているかは全くわからなかった。今回やっとわかり、長年の謎が解けた気分であった。

聖堂外観

 左から東側の塔、西側ファサード、北西から。聖トーマス教会は1212年創立、当初はロマネスク様式であったが現在みられる聖堂は1496年以降のもの。後期ゴシック様式のハレンキルヒェであり、西側入口はゴシックの雰囲気が強い。ハレンキルヒェ(ホール式)はニュルンベルクとミュンヘンのフラウエン教会などのようにゴシック時代のドイツで好まれた様式で(特に説教の声がよく通るということでプロテスタントに好まれた)、音響効果の優れた作例が多くコンサートや録音にも多く使用されている。

内部

 左は内陣で矩形プラン、中央にバッハの墓碑がある(バッハは晩年、教会当局から不遇され、一般の墓地に葬られたが19世紀末に再評価されると共に現在の場所へ移葬された)。右は西側扉口上のオルガン。天井の華やかなリブ装飾はアンナベルクの聖堂など、ザクセン地方でよく見られる。
 両側廊と西側はギャラリー階がある。他のハレンキルヒェにないこの聖堂の特徴で、この建築構造が『マタイ受難曲』の編成と配置に効果的に利用されたと見られている。側廊上のギャラリー階はフランク領ロマネスクに多く見られ、ゴシック時代に入ると廃れた建築要素である。
 この日の『ロ短調ミサ』はテレビ中継されるため(このときの演奏はTDKからDVDが発売された)、スポットライトなどの準備をしている。ミサの演奏者(オーケストラと合唱、ソロ)はこのオルガンの前に配置された。
 聖堂内にオルガンは二台ありこの西側のものは1889年建造、もう一台は身廊中央付近にあり、この日の午前に初演奏された真新しいもの。


別名「バッハオルガン」、多くの録音でも有名なオルガン


この日お披露目された新オルガン


 身廊北側とアプシスの窓がステンドグラスになっている。北側のステンドグラスはライプツィヒの著名人の肖像があり、バッハ(左)やメンデルスゾーンの姿があった。同じライプツィヒ生まれのヴァーグナーは見当たらなかった。内陣中央にある木彫祭壇(右)ゴシック時代の作品で「受胎告知」から「磔刑」までを木彫彩色したもの。各場面ごとの仕切りがドールハウスのように見える。
 『ロ短調ミサ』の方は教会に行くまで追悼ミサと思っていたのでチケットのことは全く考えていなかった。実は「コンサート」であり、当然チケットは完売だったので『ロ短調ミサ』はホテルに戻り、聖トーマス教会を眺めながら(部屋は見晴らしの良い21階であった)生放送を聴いて過ごした。

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