Antwerpen, Belgium.



マルクト広場のギルド館
 ブリュッセルから約50分程、この港町へ行くことにしたのは何よりもまず王立美術館にあるファン・アイクの『聖バルバラ』、ジャン・フーケの『聖母子』、ルーベンスの『十字降架』をみるためであった。この町は「チェンバロのストラディバリウス」と呼ばれたリュッカースの楽器工房、ルーベンスの絵画工房、プランタン・モレトゥスの印刷工房などが活躍し、『ローエングリン』や『フランダースの犬』の舞台でもある。
 市内では至る所で町の名の由来となった手を投げている人に出会う。そのなかで最も有名なのがここの広場にある像。観光案内にもよく登場している。ローマ兵士ということだが、アントヴェルペンにローマ時代の定住跡が見つかり実証されたのは20世紀後半のことであった。

王立美術館  ノートルダム・大聖堂  アントヴェルペン中央駅


王立美術館
Koninklijk Museum voor Schone Kunsten
Musee royal des Beaux-Arts

 アントヴェルペンの王立美術館は旧市街中心部から南に1キロほどのところ。有名な写真美術館も近くにあります。典型的な19世紀の公共建築スタイルで重厚な感じはするけれどもこれといった特徴を持たない建築。美術館を訪れた日はちょうど金曜日で運良く無料で入れました。日本の美術館も無料入館日があればとても嬉しいことであるけれども実現は遠い。館内の階段室は修復工事のため天井画はほとんど隠されていました。展示作品の写真撮影はヨーロッパの大抵の美術館と同様ストロボと三脚を使用しなければ自由、ということなので好きな作品を撮影することが出来ました。
展示作品のうち気に入ったもの、気になったものなど。Photo date: 18. Sep. 1998.


『聖バルバラ』 ヤン・ファン・エイク
Jan van Eyck: Saint. Barbara.
1437年、板に油彩、31×18cm
 この作品をみるためにアントヴェルペンに行ったようなもの。作品サイズは知っていたものの、実際見ると数値以上に小さく感じる。同じ美術館にあるルーベンスの大作とは対照的なサイズであるけれども作品の密度は大作に決して負けていない。一見練習のための素描のように見えるけれども作品として描かれたものであることは、作品に対角線を引いてみるとはっきりする。
 画面いっぱいに対角線を引くと、バルバラの二つの目をそれぞれ通り額で交差する。聖バルバラ伝説によると、父親により塔に閉じこめられたバルバラはキリスト教徒として、塔に三つの窓を開けさ、それがきっかけとなって殉教してしまう。作品中、二つの目を通る対角線は額で交差することで3番目の目を暗示しているのではないかと思えてしまう。
 また、対角線を時計回りに少し回転させると、バルバラの全身が二等辺三角形でまとめられていることもわかる。遠近法的な線と別に象徴的な線により作品が構成されている。


作品右上、どこか日本画を思わせる部分。

『聖母子』 ジャン・フーケ
(ムランの二連祭壇画右翼)
Jan Fouquet: La Vierge et l'Enfant entoures d'Anges.
Diptyque de Melun.
1450年代、板、95×86cm

  ムランの二連祭壇画は1775年には既に分離され本来の聖堂から持ち出されていることが知られている。左翼パネルはエティエンヌ・シュヴァリエと聖ステファノが描かれ、現在ベルリンの国立絵画館の所蔵となっている。三連祭壇画であったという説もある。
 印象的な聖母のモデルに1450年に亡くなったシャルル7世の愛妾アニエス・ソレルであるとの伝説は17世紀から存在している。
 周囲を囲む天使は「赤鬼」、「青鬼」を想像してしまう。ある本では童子の天使が登場するのは16世紀以降としていたが既に15世紀半ばに登場していた。

本当に謎の家族
 何故この父親は洋梨を手に持っているのか。アントヴェルペンの梨屋かもしれない。洋梨は作品の主役であるようにも見え、そのせいか赤ちゃんの視線は梨を向き取ろうとしている。赤ちゃんの前掛けレースがなかなか素晴らしい。洋梨好きとしては当然最も気になった作品である。どことなくクレーの「洋梨を讃えて」の構図と似ている。作者のクレジットなし。レンブラントやルーベンスでないことは確かである。

ルーベンスの大作

 この美術館のルーベンスコレクションは世界で最も充実している。大作ばかりを展示した部屋で、作品中でのルーベンス自身の演出と相俟って圧倒的な印象を受ける。

ノートル・ダム大聖堂
Cathedrale Notre-Dame

聖堂外観と西側の塔。2塔形式になる予定が北の塔のみ完成。

 計画段階では同じ高さの塔が並ぶ筈であった。建てられなくてむしろ良かったという意見が多い。同じく片側の塔しか建てられなかったストラスブール大聖堂が有名である。パリのサン・ドニ修道院聖堂は下手な修復で南塔を失ってしまった。シャルトル大聖堂は非対称ながらとても美しい。ベルギーでは単塔型が多く、このノートル・ダム大聖堂のような二塔型はブリュッセルのサン・ミッシェル大聖堂があるくらいでどちらかというと少数派のように思える。この点ドイツの場合と逆転している。もっとも、
トゥルネィのノートル・ダム大聖堂のような極めて印象的な多塔型の例もある。

アプシス部分

フライングバットレスは支持体というより装飾のためでしかないようにみえる。


聖堂入口から内部、身廊

 ゴシック様式、5廊型の大規模な身廊、この形式ではベルギー国内で最も大きい。内部は白で統一され装飾も控えめであるので意外と簡素な印象を与える。以前はステンドグラスの窓であったがイコノクラスムで破壊された。サン・ドニ修道院聖堂から直接影響を受けた初期ゴシックであるトゥルネィのノートル・ダム大聖堂と比較すると同じ「ゴシック様式」に含めてよいのか戸惑うほど差が大きい。ヴァーグナーのオペラ、『ローエングリン』第2幕はこの聖堂への入場場面で幕切れとなるが設定時代である10世紀の遺構は全くない。ゲッツ・フリードリッヒの演出では沢山の蝋燭に囲まれたゴシック風アーチがあったと記憶する。


聖堂内のルーベンスの作品

『十字昇架』 『十字降架』
 ルーベンスが出たら「ネロとパトラッシュ」はお約束。この小さなステンドグラスは聖堂西側の売店にひっそりとおいてある。このステンドグラスはバックライトつき(非売品)。原作によると19世紀後半『聖母被昇天』は常時公開されていたが『十字昇架』と『十字降架』は有料公開でふだんは幕がかかっていたということになっている。『十字昇架』は本来、アントヴェルペン市内のシント・ヴァルブルヒス教会の主祭壇画として制作されたものがナポレオンにより押収、ルーヴルに展示されている間に聖堂が破壊された。作品が返却された1815年以降ノートル・ダム大聖堂に展示されている。反対側の『十字降架』は火縄銃手組合(アムステルダムで同業組合がレンブラントに『夜警』を依頼している)の注文で描かれた作品で当初から大聖堂にある。同じようなサイズの三連祭壇画で主題がまるで対であるかのようなのでどうしても比較してしまう。


『聖母被昇天』
この作品は常時みることができた。親のいないネロにとって母親でもあった。


アントヴェルペン中央駅
 19世紀の建築、同時代の他作例と同じく基本的に過去の様式から引用された部分から構成されていながら、全体として独自の建築となった。特にドーム外観は優美である。植民地の富を惜しげもなくつぎ込んだことがよく感じられ、内装も良い。かつての上野駅のように終止型の駅である。人が全くいないように見えるのは長時間露出を行ったため。

Belgium Holzweg

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