洋梨のカタログ
『失われた時を求めて』から
サン=マール=ル=ヴェチュ(バルベック)のレストランにて

 シャルリュス男爵とモレル、知り合って間もない。ディナーが果物のコースに入った頃、シャルリュス男爵はモレルがピアノ演奏用に編曲したベートーヴェンのイ短調四重奏曲をけなした後おもむろ話題を変え、洋梨の品種を列挙していく。

「給仕人頭にボン・クレティアンがあるかききたまえ」
「ボン・クレティアンと申しますと?わかりかねますが」
「私たちは果物のコースにはいっているんだからね、つまり梨のことだよ。カンブルメール夫人のところにはその梨があるはずだ、彼女はさしずめエスカルバニャス伯爵夫人だからね、このひとはその梨をもらっていたんだ。チボーディエ氏がその梨を贈るんだ、すると伯爵夫人はいう、『まあ、おみごとなボン・クレティアンですこと』
「わかりません。何も知りませんでした」
「なるほど、いや、あなたには何もわかるまい。モリエールを読んだこともないとすれば… よろしい、そうした注文の仕方が何でもかでもあなたにむずかしいとなると、簡単にこういって注文したまえ、ちょうどこの近所でとれる梨だ、『ラ・ルイーズ=ボンヌ・ダヴランシュ』というやつを」
「もっとも私の好きなやつを。給仕長、ラ・ドワイエネ・デ・コミスあるかね? シャルリ、あなたにはね、この梨についてエミリー・ド・クレルモン=トネール公爵夫人の書いた美しい文章をぜひ読んでもらわなくてはならないね」
「ル・トリオンフ・ド・ジョドワーニュはある?」
「ラ・ヴィルジニー=バルテは? ラ・パス=コルマールは? ない? よし、何もないのなら出て行こう。『ラ・デュシェス・ダングーレーム』はまだ熟れていないし。さあ、シャルリ、行こう」

『失われた時を求めて ソドムとゴモラ2』(井上究一郎訳、ちくま文庫版第7巻p286)


 フランス王家との姻戚関係はカペー朝の時代から14を数え、むしろ王家にとって栄誉をもたらしたほど由緒あるゲルマント家の大貴族にとって洋梨の品種をたちどころに列挙するのはまるで自分の持つ爵位、一族の系図、領地、美術品を列挙するようなものだったようである。林檎と違って何かと手のかかる洋梨は経済的な基盤と品種改良に関する集積された知識がないと新作出は難しい(日本にも「桃栗三年柿八年、梨の大馬鹿十八年」という諺がある)。園芸試験場や学校が出来る前には自領内の品種改良に熱心な貴族主導の寄与が大きかった。品種の多くは貴族の家系のように洋梨の家系(交配親)を遡ることができる。シャルリュス男爵がここで列挙したのはモレルに洋梨の品種を教えるためでなく、これらの教養が大貴族であることを見せつけることでモレルをいじめるサディスティックな意図が含まれていた。平民の出(話者=マルセルの叔父が雇った従僕の息子)であったモレルにとって「良きキリスト者」、「議会の議長」、「コルマール通過」、「ジョドワーニュの勝利」と言われても何のことかさっぱりわからなかったであろう。
 洋梨好きにとっての「聖典」 The Pears of New York (1921) はプルーストが没する前年に刊行され、当時のアメリカで栽培されていた洋梨の代表的な品種をカラー図版と共に収録した図鑑である。この「聖典」からシャルリュス男爵が列挙した洋梨を拾ってみる。


Bon Chretien
 16世紀末にオルレアンで作出(交配親は不明)。その後ヨーロッパ中で栽培された。モリエールの最晩年の牧歌劇『デスカルバニャス伯爵夫人』(1671年)の中にこの品種が登場することがモリエールを読んだことのないモレルにはわからないのである。とてもジューシーで甘い。9月初旬。

Louise=Bonne
 1675年作出の後様々な派生種がうまれた。中くらいの大きさ、香りは少ない。Conte d'Avranchesという伯がいたので作出に関わっていたのかもしれない。画像はLouise=Bonne d'AvranchesではなくLouise=Bonne de Jerseyのもの。

Doyenne du Comice
 シャルリュス男爵が最も好きというこの品種はフランスでも最高級とされ、最も高価であった。「議会の議長」という名前でたいへん大きく美しい形をしている。1849年11月にアンジェで作出された。アメリカには早くも1850年にもたらされた。10月下旬〜11月。この品種は日本にも戦前にもたらされ、現在も栽培されているが、育てるのがとても難しいので稀少品種、ラ・フランスと違って市場にもほとんど出回らないという。
 宮内庁大膳職主厨長で「天皇の料理番」と呼ばれた秋山徳蔵(1888−1974)は『味と舌』(1962)のなかでコミスを絶賛している。岡山の大原農園から取り寄せたコミスは「あれこそ果物の王である。マンゴー、マンゴスチンなどというけれども、コミスの、あの品のある味には及ばない」(味と舌p78)。その味は「とたんに、何とも言えない芳香と、トロリとした舌ざわりと、上品な甘さが、口いっぱいに拡がる。かす一つ残さず、アイスクリームのように説けてしまう。実に素晴らしい逸品であった」(同上p78)。シャルリュス=プルーストの舌は確かなものであった。ネットで「コミス」を調べると必ずといっていいほ『味と舌』の話が引用されている。しかしシャルリュスのお気に入りだということは全く出てこない。

Triomphe de Jodoigne
 ベルギーで1830年にジョドワーニュから交配された。実は大きく、素晴らしくジューシーで甘い。10月。

Virginie=Baltet
 トロワのシャルル・バルテにより1904年に作出されたこの中で最も新しい品種。多産でとても大きな実。ジューシーでとろけるような甘さ。11〜12月。

Passe=Colmar
 1758年にベルギーの園芸家が作出、最初にドイツへ渡った後19世紀初頭にフランスへもたらされた。コルマールはアルザスの地方都市であり、この地方はドイツ領であった歴史が長い(レストランで話題になったのは第一次大戦直前なのでドイツ領)。このことがベルギーと無縁な土地の名前をつけられるきっかけになったようである。イギリスでは「冬梨」(遅い時期の梨)とされ、たいへん甘くスパイシーな香りを持つという。

Duchess d'Angouleme
  「アングレーム公爵夫人」作出はアングーレムではなくアンジェ。最初につけられた名前はPoire des Eparonnaisであった。1820年に作出者Audussonはアングレーム公爵夫人にバスケットいっぱいの梨を贈り名前を冠する許可を得た。これまでにない大型の実でありながら育てやすい。突然変異種にすいかのような縞模様を持つものがある(下右、この図版はベルギー樹木研究会刊『有用樹木栽培学紀要』に掲載されたもの)。初出は1808年、10〜11月
 

 生産量が少なく収穫しても食べ頃の時期が短くて保存のきかない洋梨がいかに高い果物であったかはプルーストがラスキン論『胡麻と百合』の中に挿入した格差の例、わずか3スーしか持っていなかった行き倒れの労働者と15フランの洋梨を注文したロシア貴族の新聞記事が端的に示している。
 シャルリュスが挙げた洋梨の中には「まだ熟れていない」と言っている「デュセス・アングレーム」を除いてもこの時期(9月以前、マルセルのバルベック滞在は9月いっぱいだった)収穫できないものも含まれている。シャルリュスはモレルの前で、まだないとわかっているものをわざと注文していたわけである。


フランスで人気のあるGuyot、イリエ=コンブレーにある果物屋の店先で


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