Alancon lace
Alancon lace



アランソン、19世紀
 この、フランスで常に製作されていた最も精巧なレースは1665年頃に最初に製作された。スペインやイタリアのレース着用を禁じる勅令は、フランス製レースの着用を劣ったものとする贅沢なルイ14世宮廷では貴族を含めて効果がなく、宰相はフランス製レースの改良と、宮廷で使われるイタリア及びフランドルラッフルへの膨大な額の支払いの改善を行うことを決定した。
 ヴェネツィア出身で任命された技術指導者はフランスのレース工の中に理解力のある生徒を見出し、縫製と組み紐で作るレース、すなわちイタリアのオールドポアンクーペの模造に慣れさせ、それらの偏見が克服されると新製品の専門レース工となった。しかし、ヴェネツィアのスティッチの模造を正確にアランソンのレース工に教えることは困難であったけれども、1678年までにポアン・アランソンはスペイン及びヴェネツィアのものと非常に似通うになり、ポアン・フランスと呼ばれデザインやスティッチは個々のブリッジや節目、プレインまたはオーナメントが同じになった。後になるとアランソンで制作したレースに変化が生じ、個性的で独特の主題を持った。

上図の拡大、1.78×1.27cm
 ポアン・アランソンは、厚く硬く製作するため「冬」レースと呼ばれる。この硬さはコードンネットのためで、普通に見られるようなレースでも良好な保存をもたらし、とりわけポアン・ブリュッセルよりも上位である。フランスで製作されるアランソンレースのコードンネットの型当てには馬の毛が使われた(時々みられる型当ての出ているものは疑いなく洗濯などで縮んだものである)。アランソンレース、或いはイタリアで製作したものをアルジェンテッラと呼んだ、でコードンネットは平らである。
 ルイ14世と15世の時代アランソンは栄光の絶頂にあった。最も贅沢な値段がレースにつけられ、衣裳に用いられただけでなくベッドカバーやバスカバーにも使用された。教会の祭壇にも掲げられ、サープリスにも使用され、国王はお気に入りにクラヴァット、ラッフル、そして完全なローブなどを与えた。1794年の革命前、そしてナントの勅令廃止以前に多数の熟練工を失い、その損失は12000000ルーブルと見積もられた。労働者はこの時日当3スーしか貰えなかった。
 革命の間アランソンレース産業は途絶え、レース工は贅沢品を調達させ上層階級と関わっていたために殺された。国外へ逃亡したレース工はフランスのレース産業を復活させるナポレオンの惜しみない援助が行われるようになるまで困難な状況にあった。彼がマリー・ルイーズに贈った一つ、豊かなレースの寝具、天蓋、カバー、ピロウケースおよびシーツは全て最高級のアランソンであった。
 アランソンレース産業は衰亡を帝国と共にした。多くの老齢なレース工が没して若い世代に伝えることもなくなった。オングレーム公爵夫人が産業の復興を試みたが、彼女や限られた友人の援助では元に戻すことは出来なかった。1830年に200〜300人のレース工が働いていた。
 10年の後老齢の婦人たちが集められ共同の努力で製作された。1851年の博覧会で少量の見本が展示され、1856年に多量の注文が皇太子の産着に対してなされた。このため彼の小さなベッドカバーはアランソン製である。洗礼ローブ、マント、ヘッドドレス及び三つのバスケットは全てその美しいレースで仕立てられた。12ダースの刺繍された仕事着がレースで仕立てられ、それらは小間使用であった。
 1859年にアランソンで最も嵩んだ作品が展示された。これは200000フランの価値があるドレスでナポレオン3世が皇妃のため購入した。
 確実なパターンを知るためのポアン・アランソンの鑑定で助けになるのはポアン・アルジェンタンについてそれらが全く用いられていないことである。
 別の工房で製作したレースのデザインのようなのでアランソンパターンはそれぞれの全盛期に家庭での装飾スタイルが一致していることがわかるであろう。コルベールの死後しばしばデザインは、もっぱらなびいたり波打ったりするヴェネツィアの影響を完全に払拭していなかった。パターンに小さな図像やヘッドが導入されたのもこの時代である。18世紀のパターンは花房で、同時に菱形や楯形のはっきりしたグラウンドが、ブーシェのメダイョンに描かれたようにそのころサロンのパネル挿入された。
 そして、家具において飾りたてたテーブルや椅子の脚がデザイン上の注目を集めると、レースパターンはより固く角張ってきた。ルイ16世の時代にレゾーやグラウンドは斑点、雫、枝葉模様、虫、が縫い込まれたり、狭いパターンでボーダーとして使った。帝政時代の間セームまたは微細な文様が続き、それらは流行にのって今でも写実的な花と組合わさって使用されている。現在存在する最も優れたアランソンはバイユーとヴェネツィア近傍のブラノの王立工房で製作されたものである。フランスのエレーヌ王女のウェディングヴェールはオースタ公爵との1895年の結婚に製作されたアランソンレースである。下地はヴライレゾーまたはネットでニードルポイントで製作された花柄模様である。メダイョンは中央に花婿の紋章であるサヴォア十字、フランスの百合の花の紋章を戴いている。このヴェールは異常な大きさのサイズで14フィートをくだらない。
 現在のアランソンレースは他のレースと比較して5位にランクする。1851年のイギリスでの博覧会でそれより上にランクしたのはブリュッセル、メヘリン、ヴァレンシエンヌ、リールであった。


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