フォンフォロワド修道院図書室の壁画装飾

 ベジェの富裕なぶどう栽培家であったギュスターヴ・ファイエ(Gustave Fayet, 1865-1925)は印象派のコレクターで、特に最も早くゴッホやゴーギャンのコレクションをしていたことで知られる。ルドンとは家族ぐるみのつきあいであった。


フォンフロワド修道院廻廊にて(1910年)
左からギュスターヴ・ファイエ、アリ・ルドン、ルドン夫人、シモーヌ・ファイエ、ルドン、ファイエ夫人

 ファイエは1906年にナルボンヌ郊外の廃墟になっていたフォンフロワドのシトー会修道院を見つけ、そこが気に入って建物込みで購入し、修復を行っていった。当時はロマン派的、カトリック復興の気運から廃墟となった修道院が再建に近い形で修復が行われていた時期でフォンフロワドからそう遠くないカニグーのサン・マルタン修道院も同時期に再建(最終的には1970年代までかかった)されている。その間にファイエは次々とルドンに家族の肖像画を依頼し、娘のシモーヌ(1906年、1908年)とイズー(1908年)の姉妹、ファイエ夫人(1907年)と次々にパステルの傑作を描いていった。


ファイエ(レゾネNo2560)、ファイエ夫人の肖像(レゾネNo92)
「パステルの肖像、正面向き、黒いブラウス。淡い背景には想像上の花一輪」(ルドンのメモ)


聖体拝領を受けるシモーヌ・ファイエ(1908年、レゾネNo94)

「私はいまシモーヌ・ファイエの肖像(聖体拝領中の)を仕上げるところです。
これに取りかかったとき、私はすでにシャルトルの大聖堂を見たあとでした。
背景には一種のステンドグラスをおきました。これはまったく新規なことです」(ルドンの手紙)


イズー・ファイエの肖像(レゾネNo95)

「この肖像画がレ・ゴブランの工場長の気に入り、彼は私に垂れ幕、そしてまた敷物の製作をもちかけているのです。
こうなったのもイズーのおかげです。彼女は私に幸福をもってきてくれたのです」(ルドンの手紙)
珍しいことに黒い縁どりで顔の輪郭を強調している。
ここで言及されたゴブラン織は実際ルドンの原図に基づいて製作された(レゾネNo2516〜2522)。

 ルドンは1908年に初めて修復途中のフォンフロワド修道院に滞在し1910年に晩年の代表作である図書室の壁画『昼』、『夜』、『沈黙』を製作した。復活祭の間にファイエと打ち合わせを行い、夏まではパリのアトリエで製作、夏休みにフォンフロワド修道院で製作して1911年に完成した。


『昼』を制作中の画家(1910年)


Interieur de Cathedrale, raisonne No. 2585.
特徴的な内陣からフォンフロワドの聖堂内部をモデルにしていると思われる。

 修道院は現在一族の所有であり、図書室は非公開である。ビジターセンターには各種のおみやげやガイドなどを販売しているがルドンの壁画は全くそれらの絵はがきで売られることも、ガイドブックに紹介されることもなく(ミシュランのガイドにも出ていない)、殆どの訪問者はおそらく作品の存在さえ知らないと思われる。壁画は通常適用されるフレスコではなくテンペラ、油彩、パステルを使用していてたいへんデリケートな状態であることもあるが、肖像画と共に今なお一族に大切にされている作品である。

沈黙 Silence (1060×460, Cat. Raisonne No. 2558)
 図書室入口扉の上、枠組に合わせたため上部は円弧になっている。「目を閉じて」及び「沈黙」はルドンが共に好んだ主題、シトー会に限らず修道院は沈黙を奨励し、しゃべらないですむように身振りでコミニュケーションを行うほどであった。カニグーのサン・マルタン修道院の廻廊にも羊が口に手を当てて沈黙を促す柱頭彫刻がある。図書室にふさわしいテーマであるが、ルドンは『沈黙』や『眼を閉じて』など共通するテーマで多くの作品を描いているのでこの意味でもふさわしい。

昼  Jour (2000×6500, Cat. Raisonne No. 2556)
 「色彩」の世界の総決算とも言える壁画。油彩、テンペラ、パステルを併用している。同時代の誰にも描けなかった色彩で後の歴史を知る者はフォーヴの萌芽を認めたくなってしまう。描かれたものは全てルドンの気に入った主題で依頼者は完全にルドンに任せたようである。また、ルドンにとってその方が想像力が働くのでやりやすかったようである。『昼』の中心はアポロンの馬車である。ドラクロワがルーブル美術館アポロンの間に描いた天井画『ピュトンを殺すアポロン』のようにこの主題はルドンにあっても比較的公的・外面的な性格が強い。

夜  Nuit (2000×6500, Cat. Raisonne No 2557)
 『昼』と対をなす作品。「黒」の時代の暗さは一見みられないがゴーギャンが指摘したように色彩は全て「黒」のうちに準備されていた。『夜』は私的・内面的世界であり、ルドンのお気に入りが多く登場する。中央の二人は依頼者ギュスタフ・ファイエの娘たち、ルドンも気に入っていて何点かパステルで肖像画を描いている。画像では小さくてわからないが「夜」には作曲家のシューマンやルドン自身、このためにポーズをとらされたセヴラックも描かれている。夜はまた異形の者たちの支配する時間である。壁画のあちこちにそうした者たちが描かれている。


修道院図書室で

 モノクロ写真はいずれもピアニストのリカルド・ヴィニェス(1875−1943)が撮影したもの。1910年フォンフロワドにはルドンの家族がヴァカンスを兼ねた壁画制作のため滞在、ヴィニェスも9月始めには到着した。セヴラックはフォンフロワドに近いセレにこの年から移り、フォンフロワドへ17日に合流した。他にはファイエの親戚の家族が加わった身内だけのヴァカンスであった。夜になるとサロンで室内楽の演奏を楽しんだという。

フォンフロワドでの録音

タイトル Bach en Fontfroide 6 Suites para violoncello solo
演奏Lluis Claret
録音場所、年代 Abbaye de Fontfroide 2002-2003.
CD No.Verso VRS 2015 (2CD)
 ルイス・クラレット(公式ホームページによるとカザルスが名付け親、現在はアンドラ在住)によるバッハの無伴奏チェロ組曲全曲で二度目の録音。聴く限りでは聖堂ではなく別の部屋で録音したのではないかと思われる。いくぶん速めの歌うような演奏。タイトルの Bach en Fontfroideに関してCDのブックレットには説明はないが、このページをお読み頂いた後ならどうして選ばれたかわかると思う。

タイトル Chant Cistercien Monodies du XIIe siecleI
演奏Ensemble Organum
録音場所、年代 Abbaye de Fontfroide 1991.
CD No.harmonia mundi 2901392
 アンサンブル・オルガヌムによる東方色の強い歌唱が特徴でChoeur Gregorien de Parisの歌唱と対照的である。12世紀の聖歌が中心であるが、聖ベルナルドゥスの讃歌はもう少し後の年代。このカバー写真もフォンフロワドではない。

タイトル Amor et Caritas Gregorian ChantI
演奏Choeur Gregorien de Paris
録音場所、年代 Abbaye de Fontfroide, Apr. 2001.
CD No.disques Pierre Verany (Arion), PV700032
 Civitas Deiと同時に録音されたこちらのディスクにはグレゴリオ聖歌が収録されている。タイトルになっているAmor et Caritasはシトー会の『愛の憲章』を想起させる。カバー写真はヴィラース・ラ・ヴィル。

タイトル Chant Cistercien
演奏 Choeur Gregorien de Paris
録音場所、年代
CD No. Disques Pierre Verany (Arion), PV700027
 シトー会聖歌を歌ったもの。聖堂の音響は素晴らしく、音楽家の評価も高い。しかしこのカバー写真の廃墟はベルギーのヴィラース・ラ・ヴィルのシトー会聖堂である。CDのタイトルは『神の都』。

タイトル Civitas Dei MXCVIII
演奏Choeur Gregorien de Paris
録音場所、年代 Abbaye de Fontfroide, 10-13. Oct. 1997.
CD No.disques Pierre Verany (Arion), PV98031
 これもフォンフロワド修道院で収録したシトー会聖歌。シトー会設立900年記念盤。このディスクは修道院でも販売していたが日本で入手(ワゴンから救出)。

タイトルmarie
演奏Choeur Gregorien de Paris - Voix de Femmes
録音場所、年代Abbaye de Fontfroide, Apr. 1999.
CD No.Naive V4868
 パリ・グレゴリアン聖歌隊で女声のほうの聖歌隊によるシトー会と関わりの深いマリアの生涯に関する聖歌を収録。ようやくシトー会聖堂で録音したディスクが集まり、音響の傾向がわかるようになってきた。

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