このリトグラフはベルギーの弁護士で象徴派作家であったエドモン・ピカールの一人劇『陪審員』の挿画である。1887年にブリュッセルの「20人展」でピカールがこの詩を朗読した時「観衆の間に絶望に対する恐怖の念を呼び起こす」ためルドンのデッサンが並べられ、大きな評判を呼んだという。同じ年ルドンは『陪審員』挿画のためデッサンをもとに石版画を製作した。
このうちの一点、『サント・ギュデュル』1)と題された作品(下左、右はデッサン)はブリュッセルの現在司教座大聖堂に昇格しサン・ミッシェル大聖堂2)となったサント・ギュデュル教会の鐘塔を描いている。大きな時計の文字盤がある鐘塔で文字盤の下には石像、鐘楼の屋根にはルドンらしい怪物が姿を見せている。
1) このリトグラフのタイトルは現在「塔の中で鐘が鳴っていた・・・」となっているがOdilon Redon Oeuvre Graphique., Arts de Bois, 1913.では"Ste Gudul" である。最近刊行されたレゾネでデッサン(Cat. No. 1829)の方は La cloche grave de Sainte-Gudule となっている。
2) サント・ギュデュル教会がブリュッセルの司教座大聖堂の昇格したのは1960年代で当初「サント・ギュデュル大聖堂」という名称をつけたかったが却下され、「サン・ミッシェル大聖堂」となった。
この大聖堂は伝説によると7世紀頃、ギュデュルという少女が悪魔の悪戯(ろうそくを吹き消す)にもめげず毎晩お祈りを捧げていた場所に盛期ブラバント・ゴシック様式で建てられ、司教座大聖堂にはならなかったものの、歴代王室の戴冠式を挙行する最も重要な教会であった。近年洗浄されて蘇った純白の姿はヴィクトール・ユゴーが「汚れなき花のような麗しいゴシック教会」と讃えた通りである。
ルドンは何度もブリュッセルへ行っているのでこの教会も見ている筈であるかこの西正面を見る限りルドンのデッサンと一致する部分はない。当時の写真を見ても現在と変わりはなく、このデッサンは西側扉口の彫刻(実物と雰囲気が似ている)や時計(この聖堂にはないが多くの聖堂では鐘塔に設置されている)などのモティーフを借りてきているものと思われる。この大聖堂にはパリのノートル・ダムのようにはあまり怪物が登場しない。
西正面中央扉口のタンパン彫刻