ブロック柱頭は立方体と半球を組み合わせた柱頭で、別名「クッション柱頭」、「ベルンヴァルトのクッション」、「方円柱頭」とも呼ばれている。初出(確認出来る現存最古の作例)は司教ベルンヴァルトが設計したヒルデスハイムのザンクト・ミヒャエル教会で、1013年頃とみられる。その後、シュパイアー大聖堂で用いられたのをきっかけにドイツ中に広まった。ドイツ帝国圏外には殆ど見られないので、ドイツ独特の柱頭といえる。 |
ザンクト・ミヒャエル教会(1013年頃)
現存最古のブロック柱頭
ブロック柱頭の構成、立方体の下部分を半球で切り取る
サン・マルタン教会クリュプタ(エイム・ラ・プラーニュ、1019年) | シュパイアー大聖堂クリュプタ(1041年) |
エイム・ラ・プラーニュはサヴォワ地方のイタリア国境近くにあるベネディクト会修道院であった。ロートリンゲン大公領で、ハインリヒ二世時代にドイツ帝国に組み込まれた。聖堂の建築年代1019年と判明しているため、ザンクト・ミヒャエル教会の作例から僅か6年後に南仏でブロック柱頭が現れたのは驚きである。聖堂アプシスには連続ニッチ(ツヴェルクギャラリーへの発展?)もあることから、ドイツの工匠が関与している可能性がある。 ブロック柱頭はシュパイアー大聖堂のクリュプタ(1041年)にも採用され、これがきっかけとなってドイツ中に普及したようである。 |
シュパイアー大聖堂クリュプタのブロック柱頭
ザンクト・マリア・イム・カピトール教会、ケルン(1065年献堂) | マリア・ラーハ、西内陣 |
ブロック柱頭の形態であっても、基礎とする幾何学的構成は必ずしも同じではない。ザンクト・ミヒャエル教会のブロック柱頭は正三角形を基準としている。この基準はヒルサウ=クリュニー型の幾何学に則っているといえ、ベルンヴァルトはクリュニー改革を知っていたのかもしれない。 一方、アーヘンの宮廷礼拝堂を縮小コピーしたオットマールスハイムのザンクト・ペーター・ウント・ザンクト・パウル教会は女子修道院で、ハプスブルク家により設立された。柱頭は基本的にはブロック柱頭であるが、正方形を基準としている。このため、下面が角張って見える。 |
左:ザンクト・ミヒャエル、ヒルデスハイム、右:オットマールスハイム
ザンクト・ペーター・ウント・ザンクト・パウル教会、オットマールスハイム(1049年)
分節、装飾の付加
マルムーティエ、アルザス | リーベンフラウエン教会、マクデブルク |
ブロック柱頭は形態そのものに特徴があるので、フランスでよく見られるような大きく削ることになる彫刻が施されることは少ない。幾何学的に分割される場合と装飾が施される場合がある。 |
北の果てにも
スターヴ教会、ウルネス、ノルウェイ(1130年頃)
極北の地でブロック柱頭に出会うとは、エイム・ラ・プラーニュで見つけたときよりも驚きであった。
『三王の聖遺物筺』、ケルン大聖堂
ブロック柱頭が大好きなのか、聖遺物筺にも用いた。