ビューエルの聖母教会、ラッチュ
Kirche Unserer Lieben Frau aud dem Bühel, Latsch (Laces)


ガイドツアーまでの時間をアイスクリームを食べて過ごす。冷たいアイスに熱いソースが絶妙。

 「夏期の間のみ毎週月曜日の午後3時、ガイドツアーにのみ公開」、観光局のサイトに掲載されていたインフォメーションを判断する限り、それを見るためには短い滞在期間を公開日に合わせるしかなかった。みたところロマネスクより後の時代、これといった特徴のないビューエルの聖母教会を敢えて訪れたのはここにある一つの石板を見るためであった。
 L字型のフィンシュガウ渓谷で横棒部分の中央に位置する村ラッチュ(イタリア語ではラーチェス)は「ぶらんこ聖人」サン・プロコロ教会のあるナトゥールノ村の西約15キロにあり、中心にゴシックの教区教会と施療院が並び、2kmほど南へ行く先史時代の聖地に建てられたサン・メダルドゥス教会(12世紀)がある(付け加えておくと、あるミンネジンガーがこの村の出身で教区教会の横に銅像がある)。目的の聖堂はナトゥールノ側に歩き村の集落の途絶えた所の小さな高台にあった。
 ガイドツアーは教区教会から始まり、後期ゴシックの施療院聖堂と間もなくオープンする施療院施設(教区教会の墓地と施療院の墓地の比較についての長い解説を含む)をみて最後に(おそらくは、とっておきということで最後になった)聖母教会へと入っていった。


ビューエルの聖母教会

 実のところミュージアムと名前がつけられているように教会としては機能していないような印象を受けた。祭壇と祭壇画はあるけれども信者の座る椅子はなく代わりに劇場で使うようなライトがあちこちにある。入り口近くに黒布と板で仕切られた特設の部屋があり、その前には説明パネル、これが教会内部にある全てであった。


祭壇、12世紀のもの

 石板は特設の部屋の中に展示されていた。
 1992年、聖母教会では発掘調査が行われ、祭壇下から一枚の大理石板が見つかった。大きさは長さが1メートルほど、表裏いっぱいに線刻されたこの板は今から約5000年前の新石器時代に製作されたメンヒルであることがわかった。この地方では既に四個のメンヒルが発見され、これらは「彫像メンヒル」として有名である。

 ラーチェスのビューエル教会を調査中だった考古学者ノートドゥルフターは、新たに一個の、装飾性豊かな模様石を発見した。これも地元産の大理石でできていた。発見場所は、祭壇の板の下である。この石は地元で今なお信仰対象とされている。この教会では複数宗教が奉じられていたと考えられており、キリスト教のほかに、土着宗教の象徴としてこの模様石が安置されたのだろう。

コンラート・シュピンドラー著、畔上司訳、「5000年前の男」、文藝春秋、1994年、p302


発見されたメンヒルの表(左)と裏(右)

 メンヒルの細部をみると、表側に彫られているのはX字型に交差した線、多数の縦線、X字の間にある放射状パターンで、縦線は麦穂、放射パターンは太陽と考えられている。裏面には表と違って細かく彫られていて、短剣、斧、人物像などがわかる。


表面細部、交差線と太陽、麦穂

裏面細部、短剣

 ビューエルのメンヒルが発見される一年前、1991年9月19日、ラーチェスの真北18キロの氷河で一つの遺体が見つかった。この年は猛暑でいつもの年よりも氷河が溶け、そのためかこの近くでは遭難者の遺体が相次いで見つかっていた。不幸な遭難者と発見時には思われていたが、調べてみると5000年前に遭難した男性のミイラだったことがわかり、考古学の大発見となったのは記憶に新しい。遺体と共に様々な身の回りの品物が発見されたが、このうち斧(この形はこの地域の新石器時代にしか見られない特徴を有している)と短剣はメンヒルに彫られたものとたいへん似ていることがわかり、同一の文化圏のミイラ(エッツィーまたはアイスマンというニックネームがつけられた)と結論された。少なくとも線刻を施した彫刻家はエッツィーの持っているものと同型の斧や短剣を彫り、エッツィーがこのメンヒルを見た可能性はとても高いと推測されている。

 ビューエルの聖母教会は建物そのものはゴシック以降で新しいが内部の祭壇は12世紀であり教会そのものも起源は古い。2キロ南のサン・メダルドゥス教会は新石器時代からキリスト教時代まで続いた聖地に建てられたことは先に述べたが、シュピンドラーが述べたように聖母教会も遙か太古の宗教がそのまま遺されていた点で、土着宗教の起源の古さ、キリスト教時代にもなおとどまり続けた根の深さがある。これまで見てきた聖堂にもシャルトル大聖堂のようなケルト起源はあったが、それよりも古い先史時代とロマネスクが直接出会っていたことに少なからず感動を覚えた。

 このような意識から改めてサン・プロコロ教会、渓谷東端に位置するミュスタイルあるいはトゥブレの壁画を見たらどうなるか。


「愛すべき」という形容ぴったりの聖ニコラウス教会、左の道を進むとサン・メダルドゥス教会へ至る

Vinschgau

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