Pseudo-Romanesque

ロマネスクもどき
Pseudo-Romanesque


ロマネスク
もどき建築(復元・追加されたものから新設計のものまで)

シュパイアー大聖堂
西正面、1861年
 やむを得ない事情により19世紀に再建されたけれども今でも批判が絶えない。全ての元凶はルイ14世である。プファルツ継承戦争の時、ハイデルベルクの城を今見られるような廃墟にした上、シュパイアー大聖堂に多大の損害を与えた。災難はまだ続き、フランス革命軍が倉庫にした上、続いてきたナポレオンは大聖堂の取り壊しを命じた。取り壊しは最後の瞬間にとりやめられ、シュパイアーとマインツ大聖堂は救われた。このような背景があるので「もどき」とするのは酷であるけれども東側と比べるとやっぱり違和感が残る。
救世主大聖堂
ブリュージュ、19世紀
 ブリュージュでも最も古い聖堂で確かにロマネスク時代まで建設は遡る。しかし聖堂の大部分はゴシックである。塔の先端のみが未完成のまま最後までのこされ、ブリュージュが経済的に復興した19世紀末期になってようやく建てることが出来た。19世紀に流行った「その当時」風建築の中でも大失敗作と言われる。例えばトゥルネィの塔と見比べると優劣がよく分かる。「カテドラル」であるので格としてはブリュージュで第一級なのに聖母教会(ミケランジェロの彫刻、ブルゴーニュ候の墓所。しかしこの聖堂も奇妙な建築である)に大きく差をつけられている。ローデンバックの「死都ブリュージュ」(1892)に挿入されている写真には既に完成した塔が出ていた。
2塔型教会
リンブルク
 リンブルクの大聖堂とはちょうど駅の反対側にある名前不明な教会。ドイツ官製地図に2塔型の聖堂が載っていたので(官製地図には普通の教会と2塔以上の教会が区別されている)どんな聖堂か興味があった。ロマネスクのモティーフを巧みに引用した現代の建築(窓はアルミサッシだった)で、一見昔からありそうでいて良く見ると紛れもなく現代にしか設計出来ない、なかなか興味深い作例である。
ヘルツ・イエス教会
コープレンツ
1900−1903
 末期ロマネスクの典型的なラインラント様式で今世紀の作例。最初、20世紀の建築とは思わずにいた。ギリシア十字の身廊部に2塔型西正面がついたようなスタイルで、交差部はドームになっている。これだけの特徴があれば、建築史の本に載らないのがおかしい。コープレンツはよほどロマネスクが好きらしい。設計はLudwig Becker、内部は1978年。そういえば、ルクセンブルクのクレルヴォーにもラインラントロマネスクの見事な今世紀の聖堂がある。
サン・ピエール教会
ニオール、フランス
19〜20世紀初頭
 ポアトゥー地方の方言で建てられていることがよくわかる。しかしヘルツ・イエス教会と同時期であるせいか、雰囲気が似ている。


世俗ロマネスク
もどき建築
パレス
コープレンツ
 ライン観光汽船発着場、ドイツ・エックのすぐ近くにある建物。ザンクト・カストールも間近。これも徹底してロマネスクのモティーフを使用していて、特に左の塔の菱形屋根などは見事にラインラント風である。ライン川「上り」の観光船から。
駅舎
ヴォルムス
 帝国大聖堂をはじめとして多くのロマネスク聖堂を有するヴォルムスだけに、様式は駅舎にまで徹底している。ヴォルムスはブルグントの宮廷があった所なので本当のところ、「ブルグント風」にしたかったのでは?
旧市庁舎
トロント、カナダ
新大陸にはさすがに中世建築はない。新庁舎は広場の左側、極めてモダン。
 入口の柱頭はノルマン風で、ここにも葉人間がいた


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